One thing

海辺からお日記を書いております。
人気のない海沿いのベンチに座ってのんびり。風と波の音、鳥の声以外は何も聞こえない、そんな場所でぼーっとしながら本日も垂れ流します。

今日は昼前から初めてのジムに行ってきました。本当はクラミングがしたいんだけど、お金も場所もここら辺にはないからジムで我慢。とりあえず運動不足解消とストレス発散のために動かないとと思って、ジム。

やっぱり運動すると気分が晴れる。運動が習慣になってからはやらないとなんだか調子が悪い。時間があるなら毎日したい、本当に。

 

そのあとは今住んでいるScarboroughからバスで15分くらいの隣町、Redclifeへ。一応目的は仕事探し。節約と運動のため、あとは単純に海沿いを歩いていけば着くし散歩したかったしという理由で片道40分歩いて行ってきました。正直、家と木と海以外何にもないんだけど歩いてても全然飽きない。海で走り回ってる犬、海で泳いでる人、道でふざけてる子ども、すれ違うと挨拶してくれるおばあちゃん、そこらじゅうにいるでっかい鳥(ibisじゃなくてあれはおそらくpelican)が風に乗って飛んでいる姿、強い風に穏やかな海。街の景色を見ながら、聴きながら、考え事しながら、独り言をいいながら歩くの大好きです。

道中、海沿いにある窓の大きな家やテラスがあるアパートを見ては「あんな窓が大きい家に住んだら気持ちいだろうなぁ」「俺もいつかああいうとこに住んで毎朝テラスで朝ごはん食べたいなぁ」とか妄想してました。でも最終的な結論は「はぁ」(まぁ、無理か。金ないしビザないし英語下手だし日本人だし)で終了。お金ほしーなぁとか、オーストラリア人に生まれてればなぁとか、あんな風に英語が綺麗に話せたら、かっこよく生まれれたらなぁとかそんなことひたすら考えてました。

 

Redclifeに着いたらとりあえずコーヒーが飲みたいからカフェへ。ソイフラットホワイトのラージをテイクアウトしたそのついでに履歴書を渡す。が、拒否。おばちゃん曰く「夏前のシーズンでみんな履歴書持ってくるからね。ここら辺じゃちょっと難しいかもね。裏のほう行ったらまだ何かあるかも。」なーんてアドバイスをくれた。そりゃそうだ、オーストラリア人も仕事ない人結構いるもんな。

結局3〜4枚をカフェやレストランに受け取ってもらえたのでそのまま帰路へ。ブリスベンシティと違ってやっぱり俺を見る目が違う、からちょっと面白い。こんな飲食店の経験皆無で英語下手でもみんな笑顔で受け取ってくれた。そういうとこ、好き。

 

帰り道、テイクアウトした冷めたコーヒーを飲みながらダラダラ歩いて帰る。たまーに道にあるベンチで休憩したり、砂浜までおりたりしながらのんびりと。

来るときは「〜だったら」「〜が欲しい」とか色々考えていたけど、欲しいものなんて考え始めたらきりがないし、結局俺は何が手に入れたいんだろうとかどうしたいんだろうとかどうなりたいんだろうとか考え始める。でもよくわからない。

 

 

オーストラリアに着いたその日、仲のいい友達にあった。彼とビーガンカフェでコーヒーを飲んだ後、公園に行って木に登ったり寝ころんだりだらだらしてた。そこで彼が話していた本「One thing」が頭に浮かんだ。簡潔に言うと、その本は「自分の中で捨てれない1つのことを大事にしていればそれが手に入る。でも3つのことを同時にすればそれは手に入らないけど全部できる」的なこと。日本語だとなんて言っていいかよくわかんないけど、そういうこと。

 

彼は「僕にとってはフィットネスとヘルスは絶対捨てられない。他にもあれとかこれとか色々やりたいことはあるけど、僕にとってはフィットネスとヘルスはOne thingなんだ」って言ってた。そのあと彼が

 

「君にとってのOne thingは何?」

 

って聞いてきたけど、俺はいまいちわからなくって

 

「今はわからなくなった。でもあえていうならなんだろう、自由かな」

 

って答えたと思う、確か。

 

俺にとってのOne thingはずっと保育とか福祉の仕事だと思って高校生の時から信じてやってきた。でもそれもやればやるほど見えなくなって、今になって打ち砕かれてしまったから。当時、よく大学生で進路をどうしていいかわからないとか将来が見えないとかそんなこと言っている人達を見て「大変だなぁ、俺は幸運でよかった」なんて横目で見てたけど、今やよくわからないのだから笑える。今の僕には捨てられないものなんて、別にない。

 

別にOne thingの本ではOne thingが誰の中にもあるべきものだとはいってないし、なんならOne thingを肯定するような本でもないって言ってた。どういう道を選ぶのも自分次第だけど、でもね...ってことらしい。

俺は今や俺が沢山求めているものの先に何があるのかよくわからない。正直そんなもの別になんだっていいし、生きる理由とか死ぬ意味とか別に興味ないしそんなもの実際どうだっていい。大体みんな忙しくなったり家族ができたり年をとったりすれば「生きる意味?いる?それ」ってなるわけで、なんなら結局こんなこと考えてるなんて幼いだとか若いだとか青いだとかなってくるわけで。で、じじいになればなるほど「それ、みんな通る道だよね」「俺も若い頃はそうだった」的な上から目線になってきて、真意から結局目を逸らした人があたかも大人で社会の一員でみたいなこの感じ。自分がその道極めれなかったりできなかったからってそれをあたかもうまく着地しましたみたいな理由付け始めて酒飲みながら楽しそうに語る。まぁ都合のいいこと。で、たまにふと埃かぶった脳みそ使って考えたとしても嫁に「そんなこと考えてる暇があったら子どもみて!」とか言われて「へいへい」とか言いながらも「まぁこれもわるくないかな」なんて思ってしまってまた幸せな脳みそ稼働し始めるんだ。それだから大人も社会もこんなんなっちゃって、それだから苦しむ人がいるし子どもが夢も希望も居場所もなくさまようんだよ。わかる?とりあえずソラニン100回読み直して出直してこい。

 

あれ、ソラニンのおわりってどんなだっけ。

 

 

 

 

って全然話逸れたけど

 

 

 

 

結果家に着くまでに「まぁ俺は今幸せか!」という感じで着地しました。着地できるようになっただけ進歩したなぁ、なんて自分で自分を褒めて海辺でにやついてました。

行く道で欲を爆発させ、帰り道で悩み、家に着く頃には悟る(ある意味)。

いやぁ、今日も1日平和だったなぁ。