誰かと分かち合うとき。

6連勤を終えてやっとの休み。ここのところだらだらと過ごしていた僕にとって5:00起きの20:00帰宅はなかなかハードです。明日から8連勤だし、今日は家で大人しくしております。

で、Into the wildという映画を見ました。

映画序盤を見始めて見るのやめようかと思ったけど、ちゃんと最後まで見ました。つまらなそうとは一切思わなかったしなんなら絶対好きな映画だってすぐわかったけど、あとずーんてなるとかハッピーエンドじゃなかったらやだなぁとそう思って若干見るのためらいました。でも、結果見て良かったです。

しかもあとで調べたらノンフィクションだって。ますます興味深くって見終わってからしばらくはぼーっとものおもいににふけていました。

 

僕はいい映画を見終わった後、人の意見だとか感想を見るのが好き。こういう映画を見て世間一般でみんなどう思うのかとかが気になるから。だからいっつもYahoo映画とかその他のレビューを見ます。

今回も見たのだけれど、やっぱり意見は色々。もっともな意見もあれば、「どの映画見てんの?」っていう感想もある。同じ人間が同じ映画を見たとは思えない感想。そう、人間は色々でこれだけ違う価値観や感受性を持っているのだ。映画1つでこれだけ違う感想があるのだから、やっぱり人と人とが分かり合うのって難しいんだなぁと思う。

その中で、この映画を「青春時代」「若さ故に...」と書く人達もいる。まず根本的にちょっと捉え方違ってる気もするけど、よくいうとすれば青春時代の淡い旅の思い出を振り返ったり当時の想い懐かしさに浸っている感じのレビュー。よくないようにいうと若さを失態や幼さとしてみているレビュー。

どうも年齢というのはややこしくて、長生きをしている人のほうが物事をよくわかっているという風潮がある。まぁ確かに長く生きている人はそれだけ沢山の経験をして沢山のものを見てきているから中には尊敬できる人達が多くいる。でもイコールではないんじゃないかなぁ。よく10代や20代に対して年長者が「俺も昔はそうだったなー」「若いなぁ」とか「いつかわかる時がくるよ」ということがある。僕はこういう台詞があまり好きではない。こうやって思う気持ちは分かるけれど、たまにこれが皮肉にも聴こえるから。「まだまだ幼いしわかってないな」なーんて聞こえるのだ。僕がちょっとひねくれすぎているのだろうか。

だってずるい。その台詞を言われたら何も言い返せないし、若者からしたら今生きているこの瞬間が人生の失態のように聞こえるから。純粋な気持ちや感情、行動は何故だか馬鹿にされやすい。でも何かを諦めたり我慢して頑張ることは時に賞賛されたり「大人」だと言われる。まぁ、大人になるにつれて色々と失ったりするものやしたいことをできない理由を正当化すれば生きやすいからかな。

 

 

いかん、話が逸れてきた。

でもそういうこと。映画でも親と子の間には決定的に違う価値観がある。わかりあえない部分があった。どちらが正しいとか正しくないとかそういうことはよくわからないけど、彼が両親との連絡を絶って旅に出て、やっと彼らは歩み寄ることが少しできたのでしょう。もし彼が1年経ったくらいで家に戻ったとしたら、家族はうまくいくだろうか。最初の数ヶ月もしくは1年はうまくいくだろう。でも、僕はきっとまた同じことになると思う。子どもは親に嫌気がさして、親は子どもがわからなくなる。人間はなかなか学ばないのだから。

この映画を見ていた時とっても共感したことや思ったことがあったからものすごく書き出したくなったのだけど、レビューのこと書いてたら何が書きたかったか忘れちゃった。エンドロールとその音楽を聞いている時、確かにハッとした何かが頭にはいってきたのに。作詞とか作曲する人が思いついた歌詞やメロディーを忘れちゃうのって、こういう感覚なのかな。何か綺麗な景色を見たり好きな映画を見たときに頭や心の中にすごく素敵なものがはいってきてもやもやしてたものが晴れたり何かが繋がったりすることがあるのだけど、後になるとすぐに忘れちゃう。その時は全てが解決したような気分になるんだけどな。忘れちゃうんだな。困ったものです。

 

そういえばこの映画では「Happiness only real when shared」が有名なフレーズみたい。

名言って面白いよね。経験していない人が読めばただの綺麗事や戯言に聞こえるのだけど、それを経験している人が聞くとその言葉の本当の意味がわかる。暗号とか魔法の言葉みたいなもので、人によって全然捉え方が変わってくる。言葉の奥の深さってとても面白い。奥深い文が書ける人になりたいものです。因みにこのお日記では、面倒くさい奥深さは一切ありません。口から溢れ出るものを片っ端からダラダラ垂れ流しています。そんな素敵な文章を日常的に書いていると日が暮れるから。

奥深い文章もだけど、いつか奥深い人間(おじいちゃん)になりたいものです。別に日常的に深いこと言いたいわけでもなく、誰かを見下すでもなく、ただどんな一言にも重みがあるような。それもある人が聞けばただのじじいの戯言かもしれないし、とてつもなく真意かもしれない。本当に奥深い人というのは、それをひけらかすような人ではないのです。「若いなぁ」なんていってる人は、大概たいした人じゃないのです。つまり、僕もまだまだケツの真っ青な若者なのです。