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よく噛んで食べましょう。ほら、甘いでしょう

日曜日の事。この島で初めての雨が降った。室内で見る雨は、心落ち着きます。

雨が降るとどうしても靴が濡れてしまって、靴下と靴が水を含むあの感じが好きじゃなかった。でも今は好き。だって、ここ2年でほとんど靴をはかなくなったから。サンダルか裸足だから。
服が濡れたり髪の毛がぐちゃぐちゃになったりするのも前は気になっていたけど、今となってはそれも気にならなくなった。濡れても乾くから。
僕は何をそんなに気にしていたのか、今となってはもはやよく分からない。

 

雨上がりにスタバに行った。普段スタバは高いからそんなに行かないけど、近くにおいしいコーヒーのある店があまり見当たらない。そしてどこの店にもソイミルクがないからスタバにした。ソイカプチーノを頼んだ。砂糖抜きなのに甘い。多分ソイミルクがめっちゃ甘い。フィリピンのもの基本的に甘い。分かりやすいくらいの甘さ。

 

やっぱりあんまり美味しくない。

 

だって僕は知ってしまったから、オーストラリアにいた時のあのおいしいコーヒーを。

 

知らないという事は時に幸せだ。あの味を知りさえしなければ、僕にとってスタバのコーヒーは最高のコーヒーだったかもしれない。結局、おいしいかおいしくないかは何かと比べた結果なのだ。そう考えると、知らなくていいことも沢山あるのかもしれない。
逆に言うと、どれだけ質素な生活をしていても比べる何かがなければそれば幸せなのかもしれない。例えば、生まれてからずっと毎日白米しか食べれないとする。でも毎週日曜日に梅干しを1粒もらえるとしたらその日曜日は幸せだろう。でも、友達が毎日白米と梅干を食べてることを知った時、それは幸せじゃなくなる。それはその友達と比べて貧しいと言われる生活になってしまうから。知らなければ幸せだったのだ。ただ、とある友達が毎日白米すら食べていないと知った時には自分と彼を比べて自分を幸せだと思うこともできるかもしれない。どちらの方がいいだろう。
僕は周りと比べることなく、ただただ梅干が食べれることを幸せに感じられる人でいたい。自分のもっているそのものを幸せだと自信を持って言えるような人でありたいです。時に嫉妬したり、蔑んだりしながらも、最終的に自分の白米をゆっくり味わって噛みしめることができるような人でありたいです。

そうやって、比べることなく自分のある環境に満足できている人がこの世の中にどれだけいるだろう。以外といるのかもしれないし、ほとんどいないのかもしれない。
少なくとも、僕はそれなりに幸せだと感じることが多いです。というより、少しずつそういう幸せがあることに気づきつつあります。

 

いや、とりあえずあのコーヒーは美味しくないわ。