Other way of life

ここのところ、頭の中にずっと留まってる言葉。どうも頭から離れない言葉がある。

 

最近すげー仲良くなった友達がいて、その彼が言ったこと。

「Other way of life」

もちろん英語の意味はわかってるしありふれたような言葉なのだけど、この言葉自体の意味を考えたことがなかった。日本にいたら、この意味なんてきっと一生考えなかったと思う。

 

それから少しぼんやりと考えた。俺って本当は何が好きなんだろう。何が嫌いなんだろう。俺は一番何がしたいんだろう。誰と一緒にいたいんだろう、とか。

そんなことを考えて紙に書き出した結果辿り着いた答えは、何でこんなことが分からなかったのか。こんなシンプルなことを見失っていた自分って何だったんだろうか。ということ。

 

その後にその友達に聞かれた

 

「お金も時間も何もかも抜きにして、何かやれるなら何をして暮らしたい?」

 

それを聞かれた時、真っ先に俺が昔保育の仕事をしていた時のことを思い出した。

 

俺が将来の夢を聞くと、幼児は「ウルトラマン!」って答えるけれど、学童期になると「建築家」とか「美容師」という答えが返ってくる。将来の夢を聞くと、年を重ねるにつれて職業を答えるようになっていく。大学生にもなると、「何の仕事についていいかわからない、夢がない」って言うようになる。

そんな時に俺がいつも聞いていたことが「お金も時間も何もかも抜きにして、何かやれるなら何をして暮らしたい?」っていう質問。この質問をすると、大体みんな困るのだ。そりゃそうだ、質問してる俺すら分からなかったのだから。自分では偉そうなことばかり言ってる割に、自分のことは何も分かっていない尻の青い子どもなのだ。

 

日本では大学を卒業して、3年間正規職員で働いた。それなりに仕事もできて、周りからの評判もすこぶる良かった、はず。愛想も悪くないし、友達も予定も沢山あった。服装も気を使って、髪の毛の色も髪型もいっつも変えてた。

じゃあオーストラリアに来てみてどうだろう。言いたいことはどんどん言うし、仲いい人としかほとんど会わないし、予定も当日に入れる。穴の開いた服でも気にしないし髪も髭もボッサボサ。行儀も悪いし時間にもルーズ。蓋を開けてみればこんなものだった。

ずっと周りに順応しようと必死だったんだと思う。そして、期待に応えようと必死になっていたんだとも思う。自分が周りとちょっとずれているのも知っていたから余計に。充実しているように見えて、いつも何か不安で、何にも楽しくなくて。だからたまにどっと疲れたりして、それでも必死にみんなに追いつこうと必死になって毎日過ごしていたような、そんな気がする。毛並みのいい馬の中で、必死に馬になろうとしてる牛状態。足も短いし顔もでっかいのに。

 

でも、今は仲間の牛とのうのうと牧場で暮らしています。下手に競馬のレースに出て脚光を浴びることもなく、ひたすら牧草食ってます。

もう競馬場で走りたくない!乳絞られたい!

 

 

何も考えずに書いてるから話がとっちらかってきたからもうやめるけど、とりあえず少し自分のOther way of lifeについて考えています。

 

何より、今は本当に最高な友達ができて嬉しい。本当に今はただそれだけ。